お蔭様で、何とかオープンしました。~オープニングイベント~

バタバタしながら、何とか薪まきカフェも無事、3月25日(土)にオープニングイベントを行うことができました。

 

連日、深夜まで開店準備していたせいか、疲れがたまったせいか、明日、いよいよと安堵したせいか、24日の夜、これで最後の準備作業と思い、てコンロの横にある棚の断熱をしようと、ステンレス板を切って貼って、やれやれと思って棚の天板に貼ったステンレスを撫でたら、左手の平をザックリと切ってしまい、救急外来で8針縫う怪我。。

これで厄が去ったら良いのですが(泣)救急外来から帰ったら、夜中の1時。慌てて就寝しました。

 

翌日の3月25日、待ちに待ったオープニングイベントの日がやってきました。

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友人やお世話になった方、高校時代の先輩等々から、お祝いのお花や電報などが続々届き、恐縮でした。

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ガレージの撤去や店舗玄関の施工を行って頂いた、農大林学科OBの第一緑興(株)・志村会長より

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屋根と外壁塗装を施工した、東京インダストリー(株)・竹内社長より

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昨年、自分が副代表を務めるNPOに環境寄付を頂いた、緑のgooの佐藤愛様より

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高校時代のクラブの先輩(柴山さん、伊藤さん、栗原さん、宮野さん、南さん)より

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同じく、高校時代のクラブの先輩・渡辺さんより

 

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農大林学科OB 元林野庁職員の岩佐様より

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元同僚で、NPO里山保全活動等に家族で参加頂いている、茂木家族より

 

この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

といことで、オープニングイベントがいよいよ始まりました。

先着30名の定員は、すぐに埋まり、20名も入ればギューギューのところ、袖を摺り合わ

せる状況です。

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まずは、自分の挨拶から。

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オープニングイベントに際し、カフェのコンセプトである「里山」をキーワードに、日本の森林の今と未来について、自分の恩師である、東京農大森林科学科森林政策学研究室の宮林教授と、林業をテーマにした小説「神去なあなあ日常」を執筆し、映画、「WOOD JOB」の原作者でもある、旧知の小説家・三浦しをんさんを招いた、イベントを開催しました。

 

第一部として、「都市と山のつながりを再生しよう」というテーマで、宮林教授より、40分の話題提供から始まりました。

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以下、記録を担って頂いた、吉澤真理さんによる、書き起こしを掲載します。

今回は、まず、第一部の宮林教授の話題提供から。

 

【第一部 「都市と山のつながりを再生しよう」宮林茂幸さん(東京農業大学教授)】
 
「はじめに」
この世田谷区にも以前は森や野原が沢山あって、子ども達は昆虫を捕ったり、自然の中を駆け巡っていた。しかし、明治維新から100年、高度経済成長期が訪れて工業化社会が発展していく。つまり、労働力が都市だけでは不足した為、地方で15歳になったら集団就職をするようになった。
人口が農山村から都市へと流出するという一極集中化現象が起きた。そうした都市と山村の人口の不均衡は、「うみ彦とやま彦の均衡」だった社会が、「都市と山村の不均衡」へと変化した、という事になる。
 
現代は、工業化社会、情報化社会を経て、IT化社会に位置する。
例えば、先日、宮崎県に行って来たが、広大な苺のビニールハウスには労働者は見当たらず、ロボットが全部摘んで、傷んでいる物ははじく。サイズもSMLを分けて箱に詰め積んでおく。農家の人はそれらを軽トラに移して持って行くだけ。
 また、ドローンが虫や病気のチェックを撮影するから、最近の農家はピンポイントで農薬を使えばよいから、自然と低農薬になる。
 
こうした完全なIT社会は、たった25年で達成している。明治維新から資本主義経済へ向かっていった100年、工業化社会へ急発展した50年、情報化社会として減速した25年。そうなると、IT社会が発展する期間は一体これから何年持続するだろうか?25年の半分の12・5年だろうか?

文化が、この175年間で、消えている。高度経済成長は文明を壊してきたから。
ロボットと人間が共に暮らすという社会において、ロボットが優先され、人間同士のコミュニティが飛んでしまうだろう。だから、私達はこの25年の間に何を再構築するべきか?

1960年―70年代には75%が農民だった。その子ども達は山や自然に接していた筈だ。
現在は農業のような第一次産業の従事者は20%くらい。地域に人がいない。

 

「山の文化と都市の文明」
そもそも、【アグリカルチャー】という言葉には、文化という意味が入っている。農業+文化だったのだ。このアグリカルチャーという山の文化の特長には、里山のような自然循環が暮らしの知恵を形成する、というものがある。
これと比較して、例えばメソポタミアやチグリスのような都市文明社会は、ドンっと発展して急激に消えていく特長がある。だからこれからは、山の文化を担保して、うまく協同し持続していけるカルチャーの社会で転換する必要がある。
自然、緑を媒介すれば、共同体、コーポレートが出来る。2016年移行、高齢者が70%以上という、超高齢化社会となり、30%の若者では支えられない。全員が働く社会にならざるを得ない。だから、都市のど真ん中にこの薪まきカフェみたいな場が出来る社会を創っていくのが大事。

 

「地域文化は先祖からの贈り物」
現代では、社会が継がれていく中で、会社を継いでいくため、という目的の方に力を入れ過ぎている傾向があるが、地域を継いでいく事も非常に重要である。
里山の奥に裏山があり、峰や崖もある。そこから神様が降りて来る。子ども達や普通の農民は、岩崖から奥には行くな、危険だからと言われていた。専門家だけがそこへ入れた。
手前の草地では薪を取り、炭を焼くなど、農業のための資材を得た。必要な樹木を切った後には、孫生え(ひこばえ)ができるというような循環がある。
人間は、森に教わり、森に学び、森を守る。それは、豊かで多様な森林文化であり、人間の心と身体を育む。それが、「ふるさと再生」を必要とする意味である。

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「都市とやまをむすぶこととは」
都市が山から受ける影響とは、都市林、街路樹、屋敷林、防風林、水源林、森林浴、魚付き林と、豊富にある。昔から、「じいさんがしば刈りに行く」という言い方があるが、これは草刈りの意味ではなく、「柴刈り」つまり、薪用の樹木や茅を切り取るなどの野良仕事である。柴刈りに行くエリアは、草場や畑、川であり、馬、牛、山羊などの家畜がいる場所。人間の暮らしと生産にマッチしたスペースだ。川ならセリや菖蒲などの水生植物が生えており、ばあさんが洗濯をしていた。
しかも、そういう雑排水を1回清めてきれいな水を本流に流していた。

現代のように、あまりにも無菌にした環境に子供たちを置いて暮らすから、アレルギーが多いのだと思う。里山で暮らしていた自分達の年代は、腹の中に大腸菌がたくさんいる。
木造の家、このカフェのような杉、檜を使う事も、ダニの温床となる家造りとは異なり、喘息を防ぐ環境だ。今は大丈夫でも、高齢になってから喘息が出るケースも多い。

また、家の東西南北に植える樹木も、昔は考え尽くされていた。南側はよく育つように木の実をつけた樹木を植える。西側は夏の陽射しを遮り冬は温かい広葉樹、落葉樹を植える。東側は神様がいつ来ても良いように、空けておく。
環境省が発表している「レッドデータブック」=絶滅危惧種は4800にも及ぶ。生物の多様性が高い山を作ることが大切である。薪をストーブに使う事で、森がCO2を吸うから±0になるので、環境に貢献する事に繋がる。だから皆さん、他でコーヒーを飲むより、ここの薪カフェで飲みましょう(笑)。

 

「健康とやま(みどり)」
木の香り、緑を見る、太陽の光を浴びる、こうした自然と触れあう事は人へのリラクゼーションを高める。ストレスホルモンを減少させ、怒りや疲労を緩和させる。最近の研究では特に、血圧や脈拍数にも影響を与えると言われている。
癌との関係でもNK細胞を活性化させるという研究も進んでいる。今井通子さんのデータでも、普段都市に住んでいて1度山の中に入るとNK細胞量が回復するが、3-4週で再び下がってしまう、という報告があった。という事は、月1回でも山、森林に入れば効果があるという事になる。だから、最近政府が推進している「プレミアム・フライデー」には、「山へ入ろう!!」というキャッチコピーで提唱したいくらいだ。

世田谷区の子供達を山に連れて行くと、初めは嫌な顔をしていたが、段々顔つきが変わっていった。頭の回転にも良いのは、山では都市には必要のない、普段と違う頭の使い方をするからだ。外に出て体を動かすと、普段使わない8割の脳が働く。都市部と郊外の高齢者の健康診断の数値を比較しても、差がある。これらは、緑と水の効用だと思われる。
これを次の世代に渡さないと、守る構造を考えないと、人間としての危機感がある。

 

「山に学ぶ」
今日、元林野庁の人もここに来ているが、環境や自然は「レンタル商品」だと思っていると、強調したい。戦後まもなくは各地で植樹祭があり、必死で樹木を増やしていった。例えば多摩川には40%しか山がないので、大雨が降ると荒れる。だから、急いで樹木を植えていった。ところが、その山の中身が問題なのである。
樹木を一番丈夫な状態にして、次の世代に返してあげたい。他人から借りたもの(概念)なのだから、私達は丁寧に使いたい。

 

里山文化の教育力」
昔から、じいちゃん、ばあちゃんの役割は、子どもを誉める事だった。対して、親は躾ける、叱る。また、じいちゃんは、どこに行けば松茸が採れるよ、と教えてくれる。そして、子ども達は兄弟姉妹、切磋琢磨して生きる。
こうして、1つの家の中で完璧な生きる構造が出来あがっていた。更に、この構造を地域全体で実行するのが、例えば祭りや道普請というコミュニティ=教育現場だった。
祭りの準備は氏子だけがやるのではなく、まず神社の境内を掃除するのは子ども達の仕事だった。そういう地域のしきたりを守って来た伝統を伝える好機会だった。

例えば、祭りの幟を立てるのに、山から木を下ろして来る際に、どの木をいつ切ればよいのか、じいさまが親に教える。それを子ども達も見ている。杉は香りが良い木だからあっちに持って行き、カラマツは燃やすと変な匂いがするから、こっちに持って行くなど。
祭りの構造は絶好の教育現場であり、親は普段は褒めないが、祭りの準備をこなせば褒められるから、子どもとしてはとても嬉しい。

一方で、お嫁さんはどうかと言うと、嫁いだ村の初めての祭りで、社務所に入れられる。そこでは郷土料理が出されている。細かく教えるのではなく、見て食べて覚える。アケビの戻し方、ぜんまいの下ごしらえ、蕎麦の打ち方など。これらが里山文化の最たるものである。

 

「最後に」
昔は、海彦・山彦がうまく繋がって、都市と山が結ばれていたが、高速道路によってズタズタにされてしまった。それは、「あの人が作った」という顔の見えない社会だから、人々がモノ・コトを大切にしなくなったのではないか。
それが見えれば、皆もっと大事にするのではないか。スマート文化を作って、はい、おしまいにすれば、文化はまた潰れてしまう。

 

宮林教授のお話は、初めて話を聞く方でも、とても良く分かるようにユーモアたっぷりに例え話を使い、良く理解できたという声を聴きますが、本日も名調子でした。

 

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翌日は九州で学会があり、ご自身も4月から研究室を移られるお忙しい中、お越し下さり、ありがとうございました。

 

次回のブログでは、第二部の三浦しをんさんと、宮林教授の対談の書き起こしを報告させて頂きます。