新米マスター、張り切ってやっています。
オープニングイベントから一夜明け、本来は日曜日は定休日なのですが、翌日休むのはどうか?と思い、日曜日に初営業しました。雨にもかかわらず、多くの方がお祝いを持って駆け付けて下さいました。ありがとうございます。
まだまだ不慣れで、一気にお客様が来られると、アタフタしてしまう状況が続いていますが、慣れるしかないので必死です。
さて、オープニングまでのことを改めて振り返ると、3年前から薪カフェ薪カフェと呪文のように言い続け、ようやく、昨年の4月にカフェを自宅で開くことを決め、真っ先に薪ストーブを入れようと、薪ストーブ屋さんのアリュメール吉田社長を訪ね、そこから一気にカフェづくりがスタートしました。
25年前に二世帯住宅として建てて、両親の他界後は10数年、倉庫となっていた1階がこんなに素敵な空間に生まれ変わりました。
梁となる、ヒノキの丸太を入れるのに、途方も暮れていたことが、一番大変だったと施工いただいたアリュメールさん。
漆喰塗りのワークショップ。滅多に出来ない体験を子どもたちにも。
通っている料理教室の先生による、メニュー開発のための試作づくり。
本当に美味しいコーヒーを焙煎している、コンパスコーヒーの小林社長による、淹れ方講習会。
お祝いに胡蝶蘭はいらない!と言ったら、自分が仕上げようと思っていた木のプレート20枚のヤスリ掛けとワックス塗りを手伝ってくれた里山仲間たち。。。
思い起こせば、きりのないほど、多くの仲間に助けられてオープンすることが出来ました。開店に合わせ、カフェのボランティアを募ったら、申し込んでくれた方たちも。
知り合いや仲間を募り、カフェ運営委員会を行い、何度も集まって頂き、色々検討して頂きました。
本当に本当に、感謝です。とても一人では出来なかったことです。
ここで、感謝の意を込め、携わって頂いた方のお名前を掲載させて頂きます。
(順不同)
■カフェ運営ワークショップ
・大坪義明さん
・関屋利治さん
・水渡敬子さん
・深堀るり子さん
・丸山理恵子さん
・野里洋子さん
・金究かおるさん
・吉澤真理さん
・田畠麻帆さん
・菊池佐都子さん
・桒野晴美さん
■塗り壁体験ワークショップ
・高橋誠さん
・田窪みつえさん
・関屋利治さん
・野里洋子さん
・深堀るり子さん
・田畠麻帆さん
・関根明日香さん
■メニュー開発
・野里洋子さん
・金究かおるさん
・清水順子さん
・深堀るり子さん
・東山かえさん
・坂口萌さん
■開店準備作業
・松崎芳夫さん
■ロゴ、パンフ、看板等作成
・須崎きみ江さん
■広報/ホームページ製作
・山岡絵奈さん
・吉澤真理さん
■その他(テーブル、座卓、カウンターチェア)
・南秀二さん
・湧口善之さん
■室内丁度品製作等(木のプレートづくり)
・田畠麻帆さん
・関屋利治さん
・山田竣介さん
・高田誠一さん
・鍋屋直明さん
・鍋屋睦さん
・鍋屋あかりちゃん
・伊達祐希さん
・松田啓子さん
・松田敬祐さん
・五十嵐章恵さん
■コミュニティ・ガーデン
・大坪義明さん
・清水順子さん
・深堀るり子さん
・茂木和枝さん
・菊池佐都子さん
・荒井千鶴さん
・河野麻衣さん
■レセプション
・金究かおるさん
・関屋利治さん
・深堀るり子さん
・清水順子さん
■オープニングイベント
・野里洋子さん
・金究かおるさん
・吉澤真理さん
・大坪義明さん
・関屋利治さん
・深堀るり子さん
・深堀裕也さん
・深堀麻緒さん
・田畠麻帆さん
・清水順子さん
・水渡啓子さん
■カフェボランティア
・関屋利治さん
・及川敦子さん
・成田有美恵さん
・水渡敬子さん
・清水順子さん
・深堀るり子さん
そして、オープニングイベントに、無償で出演頂いた、作家の三浦しをんさん、恩師の東京農業大学教授・宮林茂幸氏。
延べ69名、38名という、沢山の仲間たちと、儲けを度外視して施工して頂いたアリュメールの吉田さん、大工の鈴木さん、左官屋さんの広島さんのご尽力により、木のぬくもりあふれる素敵なカフェが誕生しました。
その他、お祝いや祝電、お花を頂いた多くの方々。本当にありがとうございました。
日本の里山や人工林の現状を多くの方に知っていただく機会と、地域のコミュニティ再生の交流拠点となるよう、育ててまいります。
・湧口義之さん
地元、中高同級生や、そこの縁で知り合った方々
・清水順子さん
・五明美和子さん
・小林修二さん
・三浦先生(美容院の先生)
ボランティアスタッフ
・及川敦子さん
・成田有美恵さん
その、お祝いや祝電を頂いた多くの方たち
SpecialTanks
・三浦しをんさん
・宮林茂幸さん
この場をお借りして、改めてお礼を申し上げます。
オープニングイベント第二部~作家・三浦しをんさん×東京農大教授・宮林茂幸~
オープニングイベント、第一部の宮林教授による「都市と山のつながりを再生しよう」ご覧頂き、ありがとうございました。
前回のブログで、竹炭の飾り物を頂いた高校クラブの先輩のうち、伊藤美喜先輩の名前が抜け落ちておりました。申し訳ございませんでした。
さて、ユーモアたっぷりで、里山の大切さや都市と山村を結びつけることの大切さをお話くださった東京農大・宮林教授の話題提供に続き、第二部として、人気作家の三浦しをんさんと、宮林教授の対談を行いました。
以下、吉澤真理さんによる書き起こしを掲載します。
第二部 対談:「日本の森林の今と未来」 作家・三浦しをんさん×宮林茂幸教授】
―三浦しをんさんご紹介(MC:水渡)
『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞ほか、『舟を編む』などの小説を書かれ、今回は映画『WOOD JOB!!』の原作『神去なあなあ日常』で、林業に携わる男性たちを描かれたという事でお話を伺いたく、いらして頂きました。
映画『WOOD JOB!!』は、『ウォーターボーイズ』『スィングガールズ』の矢口史靖監督(出演:染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明ほか)で、原作本は、『神去なあなあ夜話』と合わせて後ろの方で販売しておりますので、後ほどお買い求め頂く事ができます。
(以下、宮=宮林教授 し=三浦しをんさん)
し:私は10歳までこの近所に住んでいました。当時はずっと外で遊んでいたな、と。イ
ナゴを捕ったりしていましたよ。充分大人になってから、久しぶりにこの辺に来て
小出さんのお母さんにバッタリ会ったら、「あら、しをんちゃん、大きくなったわ
ねえ」と言われて、お小遣いを貰いましたね(笑)。
宮:この辺がそんなに自然に溢れていたなんてね。今は町がヒートアイランド化してい
るから町の中の温度が下がらない。微生物が少なくなっているから、花粉を食べて
くれない。子どもの頃に外あそびをたっぷりした人は、花粉症になり難いのではな
いかな。
し:私は、見事に花粉症になりましたね。林業をやっている人にも花粉症は多いようで
すよ。もう限度を超えているんでしょうね。ただ、子どもの頃、この辺の仙川など
はとても汚かった。つりがね池で蛙の卵を捕って遊んでいましたが、昔はどぶ沼と
いうか…。
(お客さんの1人より、「あそこは、昔は舟で通行していたそうですよ」との声)
宮:また、どうして林業の本を書こうと思ったんですか。
し:父方の祖父が三重県の山奥、美杉村という所で林業をしていまして。遊びに行く
と、その人が何かこんなプラプラしていていいのか、と思うような感じで(笑)。
宮:その当時はたぶん1本の杉の木が200万とか300万円くらいだったんじゃないかな。
だから、1年に2本切っておけば、後は遊んで暮らしても….。今は価格が下がって
いるから、売ってもあまりお金にならない。
し:だから、プラプラしていたんですね(笑)。三重県の尾鷲、松阪に取材に行ったん
です。木の断面とか、とてもきれいで驚きました。板にすると、うっすらとピンク
がかっている。それに、映画で使った木に造り物があるのですが、美術さんはすご
いですね。近くで見ても全くわからない。切り株も大木も。
宮:僕は矢口監督や主演の伊藤英明さんと対談をしたが、伊藤さんは実は高所恐怖症ら
しいね。しかし、本当に面白い映画で、大学でワンコインで上映会をやろうかな。
し:でも、TV放映は難しいんですよ。なぜ難しいかは…(笑)、まあ、子どもに「あれ
は何?」とか訊かれてしまうものとかが出て来るわけですよ。「そういうものなの
よ」って答えて頂ければいいんですけどね。(笑)
宮:小説の題材を決めるヒントはどこに?
し:いや、気の向くままです。
宮:しをんさんの小説は、1回読むと癖になる。主人公がいつも一生懸命だし。
そういう良さは、自然に逆らわない構造を持っている。人間の心にじわじわ来るも
のを持っているから。
し:小さい頃から外で遊んでいたのと関係があるんですかね。先生はどうして林業の研
究を?
宮:僕は長野県出身なんですよ。兄貴が2人いて、一番下。2番目と10歳離れていて、
親爺を騙して東京へ来てみた。ところがその後、親爺から「もう故郷に帰って来な
くていい」と。要するに、帰って来てももう食べてはいけないからですね。それ迄
は、ダメになったら戻って百姓をやればいいと甘く考えていたのを、突然切り離さ
れて、寂しかった。それがかえってきっかけになったのかもしれない。98歳で亡く
なった父は、チェンソーを持ったままでしたからね。自分も定年退職したら山へ帰
るのかもしれない。だから、そっちの方へ自然に引っ張られていった。
そういえば、「森林リクレーション」という名前をつけたのは、僕なんですよ。そ
ういう新しい見地が出来てきている。しをんさんはずっと東京で、都市暮らしです
よね。
し:でも、近所をどてら着て歩いています(笑)。田舎っぽいですよ。
宮:はあ?(笑) でも、取材は徹底的にするんでしょ?
し:『GOOD JOB』の時は、本も読んだし尾鷲、松阪に全部で1週間くらいかな。主
に、林業のおっちゃん達と飲んで来ただけのようなもの。でも、どんな感じで暮ら
しているのかが、よくわかる。いちいちメモを取ると、相手も緊張するし。大体
が、「飲もうぜー」という飲みニケーション。
宮:新しい題材は?
し:新聞連載を書いているんですけど、植物学の研究をしている子達の話で、山の取材
もしています。
宮:ぜひ、農大へ来て下さい。小出くんはせたがやトラスト協会にずっといたので、彼
に訊いてもいい。
し:ありがとうございます。実は私、足首が硬くて山登りに向いてないみたいで、山の
取材はけっこう大変なんですよ。
宮:植物で言うと、3000年の歴史ある草花が『源氏物語』に出て来る。子供が泣くとこ
れが良いとか、薬草や食べられる草花が多い。香度の研究もしています。古の植物
がこの辺にも沢山あります。ところで、薪っていうのは、3年ものが一番良い。一
家で山へ行って1日木を切って薪を作り、山に積んでおく。そして3年前のを背
負って山を下りて来る。
し:ああ、干しておいたら軽くなるから….。
宮:そう。炭も重さが15分の1に軽くなって下りて来る。炭は800度になるから、すごい
熱量を持って来る事になる。火持ちが良くてカロリーが高い。
し:昔の人って本当に頭がいいですね。
宮:日本人はそういう遺伝子を持っているからね。山でも、フィールドが東北、北海道
など森林の造りが違うから面白いよ。文化の形態、木の切り方から違う。奥多摩は
急傾斜。越後の方は木を長く切るけど、下の方は雪によって曲がっている。だか
ら、そのような環境で技術が生まれていく。だけど、木材は価格が十分の一になっ
たので、丁寧に育てなくなった。
し:山が暗い。
宮:林業はきついから、若者が入りたがらない。でも、あの映画をきっかけに、女性も
含めて林業に2000人近く入っている。
し:山に接するきっかけがあれば、向いている人は絶対いると思いました。
宮:あの映画、木を切るシーン、軽トラの運転なんかもうまかった。
し:あ、先生のネクタイに、くまもんが(笑)。熊本も林業が盛んですよね。
宮:熊本のように、いつ災害があるかわからないから、小出さんちに避難したら薪ス
トーブがあるから、ご近所は安心なんじゃないかな。以前、行政に公園の備蓄に下
に炭を入れてその上に水を貯蔵保管したら、という提案をしたのだけど実現してい
ないな。山もそうだけど、常に備えが必要。お祭りの神楽、屋台は避難訓練の一種
なんですよ。一番安全なお宮にあるでしょう。屋台が上がる所に逃げなさい、と
言っておけば、子供達の目印になる。
し:そういう事なんですね。
宮:それにしても、今日お会いしてわかったけれど、あなたは人に対して境が無い。良
いですね。
し:ご近所づきあいが、まだあるから…..。
宮:この1月にお袋が103歳で亡くなって、兄貴がこれから家をどうするか、というタ
イミングになっているんです。リンゴの木が20本くらいあって、学生と共に育てよ
うかな。
し:奥の方は間伐も難しいから、そういう所に学生を送り込んで(笑)。
宮:危ない仕事ではあるけれど、面白いと思うんですよね。
し:林業の人は保険に入り難いんですって聞きました。
宮:ボランティア保険もありますが、チェンソーなんか使うと、グッと保険料が上がり
ますからね。本当は、間伐してあげると良いんです。木にストレスを与えると、自
然に間伐になる。手入れをすると、少なくなるという事。要は、間伐材をどんどん
使ってもらえばいいんです。間伐材の机、椅子なんか作れますよ。今の間伐材って
大きいので。小学校の机は今、便利だから支柱はステンレスを使うけど、天板だけ
でも木で作ればいいんです。子供達のストレス解消にも良いですからね。
し:あ、机の表面をほじくって消しゴムのカスを詰めたり….(笑)。
宮:埼玉の中学校で校内暴力が酷かったんですが、廊下や横板を杉の間伐材に変えた
ら、8割減ったという実例があります。群馬県の小学校では、インフルエンザは木
造の校舎には少ない、という話も。お宅は、カーペット敷きですか?
し:いえ、フローリングです。
宮:それが、いい。絨毯にはダニがいる。子供が喘息になりますよ。年をとっても突
然、喘息が出る。次は森林の帝王みたいな小説はどう?
し:帝王ですか?(笑)
宮:今、鹿や猪の被害が多いでしょう。小菅村に知り合いがジビエのレストランをオー
プンさせるのだけど、鹿はミンチにしてハンバーグにする。小さな村に何頭の鹿が
いると思います?1800頭ですよ。山が荒らされる。民宿や旅館にも分けて食べて貰
わないと。
し:そうですね。迷惑だから鹿を殺す、ではなく、食べてあげないとね。
宮:僕は、キャッチ&リリースというのは好きじゃないんですよ。「いただきます」
が、いい。長野の小さな村でも年間4000頭捕っている。
し:尾鷲では最初に植える苗を密集させるタイプでした。海までの距離が近く、林業は
とても大事な産業です。
宮:ギリギリのところまでミカンや茶を作っているよね。昔は木から江戸に色々な物が
届いた。
し:あ、紀伊国屋文左衛門とか、そうですね。もう、皆で木を植えて、お寺でも法隆寺
みたいな御殿のような建物を造れそうですね。でも、外材は遠くから船で運んで来
るのに、そっちの方が国産より安いなんて、何かおかしいですね。
宮:円高だしね。海外はいちいち植えて大きくしたものではなく、天然ものを切って来
るから安い。
し:外国の木をこっちの都合で切って送ってもらうのって….。
宮:最近は足りなくなり海外でも木を植え始めたが、日本の物より良くない。合板にし
ないと持たなかったり、天井から落ちて来たり、白アリが食ったり。大量に持って
来て大量に消費するならば、船で持って来た方が効率的。だから、個人で家を建て
る時に、「工務店さん、ここの木を使って」と施主が言うのが大事。
MC:―何か、ご質問はありますか?(会場に向かって)
質1:「国産の木は安い」と、先日、専門家から聴いたのですが、もしそうならそれを
知らない家を建てようとしている人に、情報を広めた方がいいと思いました。
宮:丸太でも計算すると国産で世界で最も安いのは杉。だけど、製造過程で人件費や運
搬費がつくと、外国産とトントンになりますね。それでも、トントンなら、今は国
産で家を造るチャンスだと思います。
質2:日本の良い木が流通していないなら、海外の富裕層には売れないのですか?
宮:そう、可能性ありますね。去年の島根県全体の売り上げで、ベスト1は木材輸出
で、相手は韓国でした。
し:そういえば、木造住宅ってあらゆる国にあるものじゃないですよね。内装はともか
くとしても。
宮:そうなんです。韓国は貴重ですね。あそこは教育国なので、檜は子供の脳にも良い
というアピールもあるのかなあ。木材だけでなく、国産の果物、特に栗や桃は抜群
に日本の評価が高いですよ。こっちから出したら、1個2000円でも売れる。
MC:大変楽しいお二人のお話で、あっという間にお時間となってしまいました。三浦さ
ん、宮林教授、本日は本当にありがとうございました。ご来場の皆様、ありがとう
ございました。最後に、薪まきカフェ・オーナーの小出より、皆様にご挨拶させて
頂きます。
―小出オーナー挨拶
今までは世田谷区の外郭団体のせたがやトラストまちづくり(旧:せたがやトラスト協会)で働いていたのですが、もっと川上と川下の連携をやりたい、と思うようになりました。問題意識を世田谷区内だけではなく、川上にも広げ、制約を外してNPOとしてやっていきたい、と。
もっと木を使わなければならない、森を若返りさせ、ひこばえを育てなければならない。年を取ると汗もかかなくなりますよね。木も同じです。老齢で大木となったコナラやクヌギは樹皮も分厚くなってカミキリムシも嚙みきれないので樹液を出さない。
東北地震のあった3/11の時から、薪が注目され始めました。この近所だけでも25,6軒が薪ストーブを使っています。増えているんです。
生産者が薪をユーザーに届ける。NPOが3割、生産者が7割の利益を得るなどして、生産者がやる気を出してくれる仕組み作りをしていきたい。それが、宮林先生に理事長をお願いして、自分が副代表を務めているNPO法人ナチュラルリングトラストが取り組んでいる「薪まきネット」の「薪バンク」というプロジェクトを作った理由で、お手元のパンフレットに詳しい事が書いてありますので、どうぞお読みください。
元々、この場所は2世帯住宅で、下には両親が暮らしていました。2人共が亡くなった後は、物置になっていました。当初はNPOの事務所にしようかと思ったのですが、そうすると目的がある人しか来ないから、もっといろんな人が来て、里山の問題を知るきっかけや、地域の方々が交流する場になるといいな、と考えて、昨年7月からゆっくり作って来ました。
自分が子供の頃、ここの路地もいつも子供達が遊んでいて、隣の人が勝手に家に入って来て冷蔵庫を開けて飲み食いしていました。そんな顔の見える関係性の中で、この地域で生きていけるといいな、と思いました。皆さんにそういう場にして貰えると良いのですが。
この檜の丸太からは、カミキリムシが次々に出て来ますが、木をたくさん使ってこだわりました。エネルギーとしての薪ストーブもそうです。漆喰壁は、子供達のワークショップにして、塗りました。駐車場はコンクリートを剥がして、ガーデンを作りました。もしご近所にガーデニング好きな方がいらしたら、コミュニティガーデンにしますので、どうぞ参加してください。
そんな思いで、多くの人達が協力してくれて、1年弱かけて今日にこぎつけました。人生一度きりなので、思ったことは、やっぱり実行しないと悔いが残るので、やって
良かったと思っています。
飲食業の経験はゼロですが、ゆっくり育てていければと。座卓も椅子も世田谷で切られた物で、材料にこだわりがあります。今後共、皆さんに育てて頂きたいです。講座などいろんな使い方の提案もください。よろしくお願いいたします。
了
狭いお店のため、定員を先着30名とさせて頂きましたが、もっと多くの方に聞いて頂きたかった大変面白い内容でした。今回のイベント、三浦さんと宮林教授は初対面でしたが、とても感心したことに、三浦しをんさんは、イベントの登壇を決めた後、宮林教授の本を3冊購入し、事前に読んでおられました。当日、宮林教授の本を持参し、会場の方にも紹介されており、さすが人気作家だけあると思いました。また、今回は「神去なあなあ日常」と「神去なあなあ夜話」の文庫本をそれぞれ20冊をあらかじめ購入し、イベント終了後に販売させて頂きましたが、40冊にすべてサインを頂きました。
三浦しをんさん、宮林教授、お忙しい中、ともに今回は開店祝いということでノーギャラで登壇いただきました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
都会に住んでいる私たちが、もっと日本の森林のことに思いを馳せ、次世代に健康な森林を引き継いでいくことの大切さを、この薪まきカフェではコンセプトに伝えていきたいと強く思いました。
イベント終了後は、本日、お手伝い頂いたボランティアスタッフの皆様と、開店するまでのご協力の感謝と、薪まきカフェの前途を祝し、打上げをさせて頂きました。
お蔭様で、何とかオープンしました。~オープニングイベント~
バタバタしながら、何とか薪まきカフェも無事、3月25日(土)にオープニングイベントを行うことができました。
連日、深夜まで開店準備していたせいか、疲れがたまったせいか、明日、いよいよと安堵したせいか、24日の夜、これで最後の準備作業と思い、てコンロの横にある棚の断熱をしようと、ステンレス板を切って貼って、やれやれと思って棚の天板に貼ったステンレスを撫でたら、左手の平をザックリと切ってしまい、救急外来で8針縫う怪我。。
これで厄が去ったら良いのですが(泣)救急外来から帰ったら、夜中の1時。慌てて就寝しました。
翌日の3月25日、待ちに待ったオープニングイベントの日がやってきました。
友人やお世話になった方、高校時代の先輩等々から、お祝いのお花や電報などが続々届き、恐縮でした。
ガレージの撤去や店舗玄関の施工を行って頂いた、農大林学科OBの第一緑興(株)・志村会長より
屋根と外壁塗装を施工した、東京インダストリー(株)・竹内社長より
昨年、自分が副代表を務めるNPOに環境寄付を頂いた、緑のgooの佐藤愛様より
高校時代のクラブの先輩(柴山さん、伊藤さん、栗原さん、宮野さん、南さん)より
同じく、高校時代のクラブの先輩・渡辺さんより
農大林学科OB 元林野庁職員の岩佐様より
元同僚で、NPOの里山保全活動等に家族で参加頂いている、茂木家族より
この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
といことで、オープニングイベントがいよいよ始まりました。
先着30名の定員は、すぐに埋まり、20名も入ればギューギューのところ、袖を摺り合わ
せる状況です。
まずは、自分の挨拶から。
オープニングイベントに際し、カフェのコンセプトである「里山」をキーワードに、日本の森林の今と未来について、自分の恩師である、東京農大森林科学科森林政策学研究室の宮林教授と、林業をテーマにした小説「神去なあなあ日常」を執筆し、映画、「WOOD JOB」の原作者でもある、旧知の小説家・三浦しをんさんを招いた、イベントを開催しました。
第一部として、「都市と山のつながりを再生しよう」というテーマで、宮林教授より、40分の話題提供から始まりました。
以下、記録を担って頂いた、吉澤真理さんによる、書き起こしを掲載します。
今回は、まず、第一部の宮林教授の話題提供から。
【第一部 「都市と山のつながりを再生しよう」宮林茂幸さん(東京農業大学教授)】
「はじめに」
この世田谷区にも以前は森や野原が沢山あって、子ども達は昆虫を捕ったり、自然の中を駆け巡っていた。しかし、明治維新から100年、高度経済成長期が訪れて工業化社会が発展していく。つまり、労働力が都市だけでは不足した為、地方で15歳になったら集団就職をするようになった。
人口が農山村から都市へと流出するという一極集中化現象が起きた。そうした都市と山村の人口の不均衡は、「うみ彦とやま彦の均衡」だった社会が、「都市と山村の不均衡」へと変化した、という事になる。
現代は、工業化社会、情報化社会を経て、IT化社会に位置する。
例えば、先日、宮崎県に行って来たが、広大な苺のビニールハウスには労働者は見当たらず、ロボットが全部摘んで、傷んでいる物ははじく。サイズもSMLを分けて箱に詰め積んでおく。農家の人はそれらを軽トラに移して持って行くだけ。
また、ドローンが虫や病気のチェックを撮影するから、最近の農家はピンポイントで農薬を使えばよいから、自然と低農薬になる。
こうした完全なIT社会は、たった25年で達成している。明治維新から資本主義経済へ向かっていった100年、工業化社会へ急発展した50年、情報化社会として減速した25年。そうなると、IT社会が発展する期間は一体これから何年持続するだろうか?25年の半分の12・5年だろうか?
文化が、この175年間で、消えている。高度経済成長は文明を壊してきたから。
ロボットと人間が共に暮らすという社会において、ロボットが優先され、人間同士のコミュニティが飛んでしまうだろう。だから、私達はこの25年の間に何を再構築するべきか?
1960年―70年代には75%が農民だった。その子ども達は山や自然に接していた筈だ。
現在は農業のような第一次産業の従事者は20%くらい。地域に人がいない。
「山の文化と都市の文明」
そもそも、【アグリカルチャー】という言葉には、文化という意味が入っている。農業+文化だったのだ。このアグリカルチャーという山の文化の特長には、里山のような自然循環が暮らしの知恵を形成する、というものがある。
これと比較して、例えばメソポタミアやチグリスのような都市文明社会は、ドンっと発展して急激に消えていく特長がある。だからこれからは、山の文化を担保して、うまく協同し持続していけるカルチャーの社会で転換する必要がある。
自然、緑を媒介すれば、共同体、コーポレートが出来る。2016年移行、高齢者が70%以上という、超高齢化社会となり、30%の若者では支えられない。全員が働く社会にならざるを得ない。だから、都市のど真ん中にこの薪まきカフェみたいな場が出来る社会を創っていくのが大事。
「地域文化は先祖からの贈り物」
現代では、社会が継がれていく中で、会社を継いでいくため、という目的の方に力を入れ過ぎている傾向があるが、地域を継いでいく事も非常に重要である。
里山の奥に裏山があり、峰や崖もある。そこから神様が降りて来る。子ども達や普通の農民は、岩崖から奥には行くな、危険だからと言われていた。専門家だけがそこへ入れた。
手前の草地では薪を取り、炭を焼くなど、農業のための資材を得た。必要な樹木を切った後には、孫生え(ひこばえ)ができるというような循環がある。
人間は、森に教わり、森に学び、森を守る。それは、豊かで多様な森林文化であり、人間の心と身体を育む。それが、「ふるさと再生」を必要とする意味である。
「都市とやまをむすぶこととは」
都市が山から受ける影響とは、都市林、街路樹、屋敷林、防風林、水源林、森林浴、魚付き林と、豊富にある。昔から、「じいさんがしば刈りに行く」という言い方があるが、これは草刈りの意味ではなく、「柴刈り」つまり、薪用の樹木や茅を切り取るなどの野良仕事である。柴刈りに行くエリアは、草場や畑、川であり、馬、牛、山羊などの家畜がいる場所。人間の暮らしと生産にマッチしたスペースだ。川ならセリや菖蒲などの水生植物が生えており、ばあさんが洗濯をしていた。
しかも、そういう雑排水を1回清めてきれいな水を本流に流していた。
現代のように、あまりにも無菌にした環境に子供たちを置いて暮らすから、アレルギーが多いのだと思う。里山で暮らしていた自分達の年代は、腹の中に大腸菌がたくさんいる。
木造の家、このカフェのような杉、檜を使う事も、ダニの温床となる家造りとは異なり、喘息を防ぐ環境だ。今は大丈夫でも、高齢になってから喘息が出るケースも多い。
また、家の東西南北に植える樹木も、昔は考え尽くされていた。南側はよく育つように木の実をつけた樹木を植える。西側は夏の陽射しを遮り冬は温かい広葉樹、落葉樹を植える。東側は神様がいつ来ても良いように、空けておく。
環境省が発表している「レッドデータブック」=絶滅危惧種は4800にも及ぶ。生物の多様性が高い山を作ることが大切である。薪をストーブに使う事で、森がCO2を吸うから±0になるので、環境に貢献する事に繋がる。だから皆さん、他でコーヒーを飲むより、ここの薪カフェで飲みましょう(笑)。
「健康とやま(みどり)」
木の香り、緑を見る、太陽の光を浴びる、こうした自然と触れあう事は人へのリラクゼーションを高める。ストレスホルモンを減少させ、怒りや疲労を緩和させる。最近の研究では特に、血圧や脈拍数にも影響を与えると言われている。
癌との関係でもNK細胞を活性化させるという研究も進んでいる。今井通子さんのデータでも、普段都市に住んでいて1度山の中に入るとNK細胞量が回復するが、3-4週で再び下がってしまう、という報告があった。という事は、月1回でも山、森林に入れば効果があるという事になる。だから、最近政府が推進している「プレミアム・フライデー」には、「山へ入ろう!!」というキャッチコピーで提唱したいくらいだ。
世田谷区の子供達を山に連れて行くと、初めは嫌な顔をしていたが、段々顔つきが変わっていった。頭の回転にも良いのは、山では都市には必要のない、普段と違う頭の使い方をするからだ。外に出て体を動かすと、普段使わない8割の脳が働く。都市部と郊外の高齢者の健康診断の数値を比較しても、差がある。これらは、緑と水の効用だと思われる。
これを次の世代に渡さないと、守る構造を考えないと、人間としての危機感がある。
「山に学ぶ」
今日、元林野庁の人もここに来ているが、環境や自然は「レンタル商品」だと思っていると、強調したい。戦後まもなくは各地で植樹祭があり、必死で樹木を増やしていった。例えば多摩川には40%しか山がないので、大雨が降ると荒れる。だから、急いで樹木を植えていった。ところが、その山の中身が問題なのである。
樹木を一番丈夫な状態にして、次の世代に返してあげたい。他人から借りたもの(概念)なのだから、私達は丁寧に使いたい。
「里山文化の教育力」
昔から、じいちゃん、ばあちゃんの役割は、子どもを誉める事だった。対して、親は躾ける、叱る。また、じいちゃんは、どこに行けば松茸が採れるよ、と教えてくれる。そして、子ども達は兄弟姉妹、切磋琢磨して生きる。
こうして、1つの家の中で完璧な生きる構造が出来あがっていた。更に、この構造を地域全体で実行するのが、例えば祭りや道普請というコミュニティ=教育現場だった。
祭りの準備は氏子だけがやるのではなく、まず神社の境内を掃除するのは子ども達の仕事だった。そういう地域のしきたりを守って来た伝統を伝える好機会だった。
例えば、祭りの幟を立てるのに、山から木を下ろして来る際に、どの木をいつ切ればよいのか、じいさまが親に教える。それを子ども達も見ている。杉は香りが良い木だからあっちに持って行き、カラマツは燃やすと変な匂いがするから、こっちに持って行くなど。
祭りの構造は絶好の教育現場であり、親は普段は褒めないが、祭りの準備をこなせば褒められるから、子どもとしてはとても嬉しい。
一方で、お嫁さんはどうかと言うと、嫁いだ村の初めての祭りで、社務所に入れられる。そこでは郷土料理が出されている。細かく教えるのではなく、見て食べて覚える。アケビの戻し方、ぜんまいの下ごしらえ、蕎麦の打ち方など。これらが里山文化の最たるものである。
「最後に」
昔は、海彦・山彦がうまく繋がって、都市と山が結ばれていたが、高速道路によってズタズタにされてしまった。それは、「あの人が作った」という顔の見えない社会だから、人々がモノ・コトを大切にしなくなったのではないか。
それが見えれば、皆もっと大事にするのではないか。スマート文化を作って、はい、おしまいにすれば、文化はまた潰れてしまう。
宮林教授のお話は、初めて話を聞く方でも、とても良く分かるようにユーモアたっぷりに例え話を使い、良く理解できたという声を聴きますが、本日も名調子でした。
翌日は九州で学会があり、ご自身も4月から研究室を移られるお忙しい中、お越し下さり、ありがとうございました。
次回のブログでは、第二部の三浦しをんさんと、宮林教授の対談の書き起こしを報告させて頂きます。
バタバタしながら、とうとうオープニングです
相変わらず、毎日朝から動き始め、気付くと夜中まで開店準備作業に追われています。ゆっくりブログを書く時間がなく、残念でなりません。
前回のブログの続き。
3月19・20日【ガーデニング】
先週の12日に庭の片付けをし、やっと植栽を行いました。
3月4日、コミュニティ・ガーデンに参加申し込みを頂いた方と、どんな庭にするかアイディアを出し合い、①実のなる木、②生物多様性、③里山、④料理に使える植物を元に、ガーデン担当のO氏の設計により、ブルーベリー、ジューンベリー、ハーブ等々を
植栽。枕木とレンガのアプローチも素敵に出来上がりました。水鉢はトンボを呼び込むことを目指していますが、植栽は今後行います。庭はまだ未完成にしております。今後、コミュニティ・ガーデンとして、育てていく予定です。
女性陣が頑張ってくれました。ガーデン担当のO氏もご機嫌です(笑)
3月23日【レセプション】
ご近所の方を招き、内覧やメニューの一部の試食、歓談、そして最後に自分が挨拶を兼ね、カフェを作った思いをお話しました。ご近所の方がこうして集まるのは、それこそ葬儀の時くらいだったので、今後、カフェが地域のコミュニティ・スペースになればうれしい限りです。カフェ運営に協力を頂いているメンバーが朝から仕込みをしてくれたり、レセプションで料理を配膳したり、後片付けまで、本当に助かりました。
そして、、、
3月25日、ブログを書いている本日ですが、いよいよオープン!!
あまりにもバタバタしすぎて実感が湧いてきません。
明日は、14時~16時のオープニングイベントのみ営業です。
都市と山村の交流をコンセプトにしている、薪まきカフェにちなみ、日本の森林の今と未来について、恩師の東京農業大学教授の宮林先生と、林業をテーマにした、「神去なあなあ日常」を著した、人気作家の三浦しをんさんにお越し頂くことができました!!
いろいろ書きたいことがあるのですが、改めて書かせて頂きます。
皆様のおかげです
今朝、夢の中で電話がなっていると思ったら、埼玉県吉見町で里山活動をしている、一番協力下さっているメンバーの方から、「もう身体が限界だから、今日は休んで、その分を自分が行ってやるから」という連絡。確かに、忙しすぎて、先日健康診断したら、高血圧と尿たんぱくが出ていて、身体が悲鳴をあげていることは自覚していたのですが、開店まで2週間となった今も、やることが沢山あって1日でも、1時間でも細かな作業をしないと間に合わない状況です。電話を頂いた方は、滅多に東京に出ることは無いと言っておりましたが、心底、自分の体調を心配下さり、駆け付けてくれました。
自分も流石に休むわけにはいかないので、やらねばと思っていた作業を一緒に手伝って頂きました。
まずは、作業テーブルの壁に棚をつける作業から。慣れている人なら何てことないのでしょうが、棚受けを付ける位置や水平を確認したり、意外と面倒な作業で、後回しにしていたのですが、二人でやると、あっという間に二段の棚が完成しました。
棚受けが無くなってしまったので、後日、あと一段取り付ける予定です。
続いて、食器棚だけの引き出しでは足りないと思っていたので、自作した作業テーブルに、ホームセンターで売っていた引き出しボックスを取り付ける作業。L型のステーとかを組み合わせて作ろうかと、金具は購入していたのですが、中々面倒だということが判明。急遽、ホームセンターに走り、シナ合板を購入し、テーブルの脚の内径でカットしてもらったのを取り付けました。板を張ったことで、テーブルの脚の補強にもなりました。さすがに、一人より二人の知恵と感じた次第です。それにしても、連日ホームセンターに行っているので、レジの方に覚えられてしまいました(笑)
厨房は、棚板をあと1段取り付ければ、完成です。
最後は、庭のタマリュウの植え込み作業。昨日、道路沿いにタマリュウを植え込んだのですが、数が足りず途中で終わってしまいました。追加購入しないとと思っていたら、
お世話になっている、祖師ヶ谷大蔵にある、自宅を改装して地域に開いている笑恵館のMさんが、カフェを見学に来られ、お土産に笑恵館オーナーのTさんからお土産と、何と、タマリュウを頂きました。以心伝心。
道路沿いにタマリュウの列植が完了。これで側溝に土が出るのを若干防止できることを期待しています。
植え込み作業が終了したところ、こちらに向かって歩いてくる方がいるな?と思ったら、カフェのガーデニングメンバーのM女史でした。携帯に連絡あったのですが、気付かなかったので驚いてしまいました。その後、ガーデニング部門の統括者であるOさんも昨日に続きやってきました。Oさん、昨夜、帰ってから深夜にガーデンの平面図を作成し、今朝はアプローチについて、枕木で作りたいという自分の希望から、お店までのアプローチの図面を何枚も書き起こして下さいました。
M女史は、ホームセンターで枕木の在庫確認や配送について問い合わせの電話をして下さり、枕木だけでなく、レンガも混ぜて作っては?というアドバイス。彼女もガーデニンに造詣の深い方なので、とても助かります。
そうそう、それと、今日は笑恵館オーナーのTさんも、近くに来たついでと言いつつ、カフェを見に来て下さいました。
ほんと、色々な方にご協力頂き、自分は恵まれていると、つくづく感じた1日でした。
皆様のお蔭で、自分の夢の実現が進んでいます。本当にありがとうございます。
断捨離
今日は、仲間が手伝ってくれて、庭の片付けと塀のペンキ塗り作業を予定していました。昨夜から花粉症の影響で、熱っぽく、身体が怠かったのですが、仲間が集まれる日もそうそう無いし、オープンまで切羽詰まっているので、休止にせず、朝からマスクして気合で片付けを行いました。
まずは、先日、物置や荷物があって中途で終わっていた塀を黒く塗り終える作業から。物置の中身を出して、物置を移動させ、ペンキ塗りが始まりました。
塗っている最中、縁台代わりに使用するガーデンストッカーをレベルを合わせて設置。
窓の高さとストッカーの高さを合わせ、土台に石を置き、水平をとってしつらえました。ストッカーはアルミ製で味気ないので、そのうち、座るところは板を張って縁台っぽくしようと考えています。
ペンキ塗りと縁台設置作業をしている傍ら、他の仲間は物置や長年空かずのままだったストッカーの中から、今後使うもの、可燃ごみ、不燃ごみにより分ける作業。
親の代から長年住み続けていると、色んな物が知らず知らずのうちに溜まっていました。それらをエイや!と断捨離。プラスティックの鉢やボックスなど、丸ノコで小さく刻んだり、小学4年生の時の彫刻刀が出てきて不燃ごみにしたり。
自分が捨てるのどうしようか、と迷っていると、仲間が、それは捨て!と、次々と指示が飛びます。他人が捨てろ!と言ってくれると、案外、捨てられるものです。
可燃ごみが45ℓのゴミ袋に8袋。不燃ごみは5袋。家庭用の可燃ごみ、一度に出せる量は3袋なので、家のゴミと合わせると、可燃ごみは4回ほど。不燃ごみは月に2回しか回収されないので、何回出すことになるのでしょう。
しかし、思い切って断捨離したので、とてもスッキリしました。
ペンキ塗りとゴミの片付けが終わって、次は側溝に沿ってタマリュウの植え込み。
今日集まった仲間は、コミュニティ・ガーデンクラブに参加頂いている方が中心だったので、やっとガーデニング作業となりました。
来週、植栽する予定です。きっと素敵なガーデンになることでしょう。
タマリュウの植え込みをしている横では、薪まきカフェのロゴなどデザイン全般をお願いしている、グラフィックデザイナーの仲間が、自分が作ったA型看板に文字入れ作業をしてくれました。
薪まきカフェのロゴのテンプレートを作り、看板に張ってその上からペンキをスポンジで叩いて塗っていく作業。文字がぼやけたり、色が乗らなかったりしないよう、慎重な作業です。
そうして乾いたところで、テンプレートを剥がすと
お見事!綺麗にロゴが塗られました。カップの湯気の部分とか、細かい部分もしっかりと出ています。看板は、ロゴの下にメニューとか、営業時間などを入れようと思います。
今日も、大勢の仲間に助けられ、やらねばならない作業の一つが完了しました。ホント、感謝感謝です。
夕方からは、料理の試作。おにぎり定食のおかずは何にするかを考えたり、実際におにぎりを結んで食べてもらい、意見を頂きました。最初にぎったおにぎりは固いと言われ、次はやわらかく握ってみましたが、良いけどまだ中が固いと言われ、3度目にやっとOKを頂きました。ふわっと握るコツをつかんで今夜は終了となりました。
気合で体調も何とか持ちこたえましたが、仲間が帰ったとたん、具合が悪くなってきました。明日もやることいっぱいなので、もう寝ます。
いよいよ、大詰めです
昨年7月から始まった、カフェづくり。ゆっくりと作業を進めてきましたが、3月25日のオープンまで、気付いたらもうすぐでした。
細かい事で、やることがまだまだ沢山あり、間に合うのか?心配しております。
前回、塀の壁塗りまでお伝えしましたが、以降、メチャクチャ多忙な日々を過ごしていたため、ブログが滞っておりました。書きたいことは山ほどあるのですが。。。
忙しい理由その1
融資のために世田谷区の新規創業者支援制度というのを知り、金利0.3%ということなので、さっそく申込。4回ほど三軒茶屋にある産業公社に出向き、中小企業診断士の方の指導で書類作成して世田谷区に提出。次に融資を依頼する予定の信用金庫に出向き、面接。最終的には東京信用保証協会というところで診断され、OKが出たら融資実行という流れ。元職場からの依頼でタイトな締切の書類作成もあり、間隙を縫うように、信用保証協会がある八重洲に行ったり、信用保証協会から、早急に営業許可申請書と開業届を揃えろと言われ、世田谷区に提出したり、開業届を税務署にも提出したり。
忙しい理由その2
税務署といえば、確定申告も渋谷の作成所に朝一番で行き提出してきました。今までサラリーマンだったから確定申告は無縁だったので、書き方が良くわからず、家で時間あるとき作成していたのですが、退職金の源泉の書き方がわからず、うなっていましたが、渋谷の作成書に行ったら、教えていただきつつ、15分で作成完了。
うなっている時間があったら、渋谷に行くことをお勧めします。
忙しい理由その3
ありがたいことですが、昨年まで勤めていた団体から、可及な仕事が舞い込み、資料を作って打合せして、書き直して打合せ、という日々が平行して続いていて、とてもタイトなので、夜中までパソコンに向かっている毎日。年度末はどなたも忙しいことでしょうが、ここまで忙しくなるとは。。。昨日は花粉症がひどく、鼻水が止まらないと思っていたら、喉がイガイガしてきて、何となく熱っぽくなって早々に就寝しました。
ということで、書きたいことは沢山あるのですが、時間が無いので、主な出来事を時系列で紹介します。
2月20日 外装と屋根塗装
1階の漆喰と色を合わせて、白くモルタルを塗り直しました。
2月25日 料理の試作
薪まきカフェの運営に協力を頂いている、料理教室を主宰されている方によ
る、洋風ランチの試作会。メイン7品、サラダ7品を作っていただきました。
野菜を塩だけで煮込んだアクアコッタはとても優しい味で、女性には大好
評。メニュー確定です。その他、ベトナムのサンドウィッチのバインミーや
ドライカレーなど、どれも美味しく、ランチとしてご満足いただけるのでは
と思います。週替わりか月替わりで提供していく予定です。
この日は、午後2時から、庭の花壇づくりを進める、ガーデニングのワークショップも開催。コミュニティ・ガーデンに関心のある方に集まっていただき、店までのアプローチのデザイン、ガーデンのコンセプト、樹木の種類、植栽計画などを考えました。
19日に植栽作業を行います。コミュニティ・ガーデンに関心のある方、連絡をお待ちしております。
3月1日 コーヒー教室
コーヒーの仕入れ先である、コンパスコーヒーさんの社長にお越し頂き、コー
ヒーの淹れ方の講習会を開催。ボランティアスタッフへも声掛けしたら、10名
も参加。社長のKさんが淹れたコーヒーを皆さん飲んだら、こんなに美味しい
コーヒーは今まで味わったことがないです!と感動していました。カフェをや
ろうと思った時から、コーヒーの仕入れは、コンパスコーヒーと決めていたの
ですが、スタッフの皆さんも納得して頂けたと思います。
この講習を受けたスタッフの一人は、後日、コンパスコーヒーの九品仏店と
旗の台店に行き、コーヒー、深煎りと浅煎りを飲んだそうです。旗の台店で
は、Kさんが店番していたそうで、Kさんが淹れたコーヒーを頂くことができ
たそうで、やっぱり、味が違ったとの感想。
自分も少しでもKさんに近づけるよう、猛練習あるのみです。
3月5日 モノより思い出!薪まきカフェオープン準備ワークショップ
仲間が企画してくれたワークショップを開催。
コーヒーのソーサー代わりに出す、木のプレートの仕上げをみんなで行いまし
た。実は、このプレートも、仲間の木工屋さんが製作しているのですが、少し
でもお安くお分けしてとお願いしたところ、最後の仕上げの工程を小出さんが
して下さいということで、定価からグ~ッとお安く仕入れさせて頂きました。
Mさん、ありがとうございます。最後の仕上げは、240番の紙ヤスリで磨
き、仕上げに400番の紙ヤスリ。ツルツルになったら、天然のワックスを縫っ
て完成。ワークショップには、12名の仲間が参加下さり、ひたすら黙々と磨き
作業。お蔭様で、20枚のプレートが完成しました。
その後は懇親会。とても楽しい時間を過ごしました。
ここまで、Mさんが仕上げて下さり、この後の最終仕上げを自分が行うことにして、仕入れ値段をおまけして頂きました。(普通は、そんなことしないでしょう)
3月8日 メニュー試作
子どもたちへの自然体験プログラムのお手伝いをさせて頂いている、「まち
の寺子屋」を主宰する、Kちゃんが、自分、昔、二子玉のカフェで働いてい
ました。ワッフル作るの得意で。と言うので、早速来て頂き、ワッフルづく
りを行いました。確かに美味しい。スタッフ2名も、この界隈で味わったこ
とないと絶賛。これもメニュー決定です。
彼女、色々心配してくれていて、薪まきカフェの空間のコーディネートも考
えてくれるとのこと。助かります。
※手前にいる方は、スタッフです。(白いセーターの女性が先生)
こうして時系列に振り替えると、ほんと、自分は沢山の方に協力いただいていると実感します。前回のブログで有償ボランティアを募集したら、なんと、4名の方から申込もあり、本当にありがたいことです。
誰かが言ってましたが、ここは、薪まきカフェではなく、巻きこまれカフェだと(笑)
薪を通して、里山への関心を高め、一人でも多く守る仲間を増やす意味で「薪まき」と名付けたので、まんざらでもないのですが。
3月11日 ガーデンイング作業の下準備
本日は、前回の塀のペンキ塗りの続きや、荷物の片付けなど。
この報告は、後日ということで。
それにしても、花粉がひどくて、昨日から鼻水がとまらず、喉もイガイガ。
若干微熱がありそうです。
ここで倒れることができないので、気合いで乗り越えます!!